学芸員という生き物について

博物館で生業を立ててる人のはなし。

再々、再募集かかってる採用案件は大丈夫なのか問題

いや、大丈夫じゃないよな。

学芸員の仕事

学芸員採用の情報が出るところがあるんだけど、そこにずーっと再募集かかってる、とあるミュージアム(という言葉を使って館種を濁す)の採用がまた出ていた。このミュージアム、確か今年の1月くらいからずーっと採用募集していたんだけど、今月に入ってもまだ決まってないのか割とビビる。ビビるというよりも不信感しかない。

まあ、その募集要項がハードル高いくせにどう考えてもお給料そこまで払う気ないだろ、な案件で「お察し」のところなのである。そりゃあ誰も来ねえよ。今回出てるのはすごーく甘めに設定していたけど、それでも前回、前々回の時の募集要項を見ているだけにね、内部的にかなりこき使われそうな気がする。前まで出ていたときは「TOEIC700点以上」とかそういう条件も付いてた。本来は研究とかそういう業務を行うべき学芸員なのに「勤務時間の20パーセントを勤務地以外での調査に充てることができる」とかいう条件もついている。なんだよそれ、なんでそこまで勤務地に縛り付けようとするのか。受付とかそういうのもさせようっていう魂胆なんだろうな。

だいたい、京都画壇に精通していること、みたいな条件自体かなりハードル高いんだけどそれ気づいてんかな。それでいてお給料は20万もしないくらいだったし。これ若いやつ絶対来ないよなーでもそういうところに限って3040代の若手を欲しがったりするんだよな。たぶんポスドクとかその辺の人がほしいんだろうけど、いかんせんこの給与では食べて行けそうにない感じだし。

それに何回も条件代えて募集かけてるってのだけでも「この職場大丈夫か??」っていう不信感しかわかないよね。前も出ていたけど、前の時に決まった人が辞めたんかな?とか、募集も来なかったんかな?とか、そういうのを考えてしまう。それだけでも痛手だよなあ。

ちゃんと働ける環境で魅力的な条件であればたくさんの募集あるのにね。

 

まあ、今回どうなるのか。来月も採用募集が出てこなきゃいいけど。

ワークショップ案を作るの、大変

子どもとミュージアム 学校で使えるミュージアム活用ガイド

次年度向けのワークショップ案をちまちま作っているのだが、単なるイベントに終始してしまいそうで個人的に嫌なのである。はっきり言おう、気に入らん。

博物館で何かしらのワークショップをするのであれば、それなりに「そうだったのか!」的な、?が!になるようなものをしたいのだけれど、そこまで求められていないのが現状。単なる工作イベントとなっちゃってるから、それをどうにか軌道修正したいのがわたしの最近の野望。

美術系で多いのかな、絵をかいたり立体物を使ったり。そういうのができる美術館であればまだいいんだが、勤務館は美術作品が常時見られるような場所ではないし、常設展示は歴史系だからそれに見合うワークショップやればいいんだけど、そういうのだとあんまり歓迎されない。特に小さい子を持つ親御さんたちからは。

あとは夏休みの宿題になりそうな、というのも大きいかもしれない。そういうのありなの?って思うけど(だいたい家でどうにかこうにか工作して持って行った系人間なので)、今はそれもOKなんだ時代は変わったなあ。なのでそういうリクエストにもこたえられるようなものをと考えているんだけどなかなかねぇ。

そこまで考えてやはり最初の感想に行きあたって堂々巡りを繰り返すだけ。もうちょっと自分に博物館の運営に口出しができる権力というか、そういうのがあればもっといろいろできそうな気がするんだが、ないものはないのでどうしようもない。

 

そんな小さなストレスを毎日抱えている今日この頃だわ。

長文ブログ、もう誰も読んでない説

よっぽどのことがないと長文のブログ読まれなくなっちゃたんじゃないか。

SEO対策で長文にしましょうというのが一時期はやったけど、むしろ内容圧縮していかに短く的確に物事を書けるか、そういう時代になってるんだと思う。裏付けないけど。

でも、展覧会のキャプション作るときは最近は100字超えないようにしている。それ以上はもう誰も読んでくれない。素通り。解説パネルも同様で、たまに美術系の展覧会に行くと長文の「ごあいさつ」だとか「第〇章」とかが並んでるけど、根気よく読んでるのは数人であとはみんな素通り。

まあパネルなんてのは作品の添え物みたいなものなので、ある意味正しいのだが、学芸員としてはちょっとつらい。

それを加味して考えると、やはり長文はもうほとんど読まれていないんじゃなかろうか。特に日記ブログに関しては。

 

ということにいまさら思い当たる。

 

まあそうだよね、大したことも書いてないし、だいたいお前誰だよ!?的な人間が書いた日記って面白味もないよなそりゃ。よっぽど議論的な内容か、説明書的なものか、映画の感想文かそういうものしか読まれないんじゃないか。

 

ていうのを長文で書いてる。ダメじゃん。

 

来年度、どうやらひとりになるらしい

同僚学芸員に耳打ちされたんだけど、どうやら来年度はわたしひとりになるらしい。学芸員が。どういうことかはお察しください。一応言っておくと今は2人体制。

マジかよー一応そのつもりで準備はしてきたけどさ、実際に面と向かってそう宣言されるとがっくりくる。またしばらくひとりで切り盛りしなきゃならないのか。公募かけてもなかなか人が集まらない状況ってのはよくあるけど、そうなりそうだからなー。給与と業務と立地を考えるとどう考えても募集集まらないだろう。なのでひとりで切り盛りだろうな、と予想しているわけ。

これじゃますます研究の時間も無くなってしまう。どうしたらいいものか。

というか、ひとり体制長かったのに給与で補てんされてないんだけど。補てんされないだろうけど、今度言ってみようかなあ。今の職場、そういう不満ばかりだ。

美術館で働くということ 東京都現代美術館 学芸員ひみつ日記 (メディアファクトリーのコミックエッセイ)

美術館で働くということ 東京都現代美術館 学芸員ひみつ日記 (メディアファクトリーのコミックエッセイ)

 

 

連携の距離

連携を前提に考えたとき、ゴールがどこかという基本的な設定もさることながら、館同士の物理的距離をいかに埋めるかが大事だと思う。長距離でも面白そうな取り組みであれば「行ってみようかな」という気になるし、近距離でもつまらなそうだったら行かないし。

この物理的な距離っての、意外と議論に上がらない。バスをチャーターしていけばいいだろう、みたいなノリもたまにあるけど、その場合の保険や誰が引率につくのか、何人集まればペイできるかといった点が新たに問題になる。そしてそこまで議論されることは少なく、結局最後までぐだぐだになる。

あとバスチャーターだと限られた人数しか行けない、てのも問題かなあ。どのくらいの人間を連携で集めるか次第だろうけど。

あとは賞品を出して連携館をまわるのを推奨しているところもあるけど、賞品がしょぼかったら逆に怒られるというね。そりゃそうだよね、めちゃくちゃ遠い館をまわってもらえるのがシール1枚とかだったらわたしですら「はぁ?」ってなるもん。

だからといって金銭的に高価なものを賞品にしちゃうと、今度は「モノで釣るんか!」ていう批判も出るし。どうすりゃいいんだ。

博物館と地方再生: 市民・自治体・企業・地域との連携

博物館と地方再生: 市民・自治体・企業・地域との連携

 

 

今日も今日とて雑芸員

学芸員になるには (なるにはBOOKS)

(わたしもなり方を知りたい…)

 

学芸員ではなく、やはり自分は雑芸員なのだろう。今日は今日で荷物運びの仕事。男手が少ない職場になのでわたしが貴重らしく(使いやすいらしい、が本当だろうけど)、だいたい何かしらのものを運び出すときは動員されることになっている。

そういう時の仕事はだいたいすぐに片付かないものばかりで、2時間は軽く拘束される。

結局今日も13時に作業開始で終わってひと段落ついたのが15時だった。その間休憩なし。別にどうってことはないんだけれどさあ、なんかいいように使われるだけ使われてあと何もないってのはどうもねえよその部署からのヘルプ要請だっただけに、「何もないんかい!」的なツッコミ入れたくてもできないし、で、非常に不満だけがたまっていくような感じ。どうしようもないわけだけどね。

で、その1時間後に今度は「元の場所に片付けるから」手伝ってほしいのだという。出したものの半分以上は時間的猶予がなく見られなかったらしい。段取りちゃんとやってから作業しようよとのど元まで出かかったけど言っても無駄なのでやめた。この数年で諦念力がさらに強化されたように思う。

できないことをいうもんじゃない、のはわかってるけれど

やはり何かしら言いたくなってしまう。

例の連携会議のこと。

gakuge-i.hatenablog.com

 現状、みんなの態度が「金の切れ目が縁の切れ目」になっているのがどうも納得できなくて、忙しい合間を縫って皆せっかく集まってるんだから、そういうのもったいないから、今後とも何かしらの形でのつながりがほしいよねーとは思うし、そういうことを発言したくなる。

でもそういうことをいうと、必ず「じゃあお前が音頭取りやれよ」とか言われるわけだ。やってもいいけど、自分が事務局とかをやるとめちゃくちゃになってしまう過去の経験があるので素直に「よっしゃ!やったるわ!」と言い切れない。

なんかなあ、不満だけがたらたらたまっていくのすごく嫌。もう少し生産的なやり取りみたいなのがしたいんだけどなあ